評価制度

人事評価とは何か②
~評価制度の変遷【能力主義】~

「年功主義」の弊害を無くそうとして生まれた「能力主義」は結果的に弊害を無くせませんでしたが、「経済状況から経営課題を踏まえ、人材マネジメントをどのようにするかを考えた上で評価制度を改定すべし」という評価制度改訂の基本の重要性を喚起させるきかっけになった考え方だと言えます。

  • 人事評価は経営課題の変遷とともに変わってきた
  • できる人材とできない人材の差を評価し処遇に格差を付ける~能力主義~
  • どうして「能力主義」だったのか?
  • 賃金原資は増加傾向になるという点は「年功主義」と同じ

人事評価は経営課題の変遷とともに変わってきた

「人事評価」は「人材マネジメント」の手段のひとつです。
ですからどのような考え方で人をマネジメントするかにより、その手段である「人事評価」も変わってきます。またどのような考え方で人をマネジメントするかは当然その時々の、「経営課題」の影響を受けます。

つまり、「経営課題」が変わると、「人材マネジメントの基本的な考え方」が変わり、「人材マネジメントの基本的な考え方」が変わると、「人事評価」も変わると言えます。

多くの方がご存知のように、戦後我が国の「人材マネジメントの基本的な考え方」は、

「年功主義」→「能力主義」→「成果主義」

という風に変遷してきました。
この「人材マネジメントの基本的な考え方」の変遷の裏には、その時々の解決すべき「経営課題」がありました。例えば「大量生産」が経営課題であれば、その課題解決策として「年功主義」が「人材マネジメントの基本的な考え方」として採用され、その実現手段として、勤続年数や年齢を評価する人事評価制度が採用されたわけです。

昨今、評価制度の見直しが叫ばれていますが、「人事評価」の変遷とその背景にあった「経営課題」、課題解決に必要だった当時の「人材マネジメントの基本的な考え方」を振り返ることで、今後自社の評価制度のどこをどう見直すかのヒントが見つかるのではないでしょうか?

なぜなら、このように過去の「人事評価」の変遷を「経営課題」の変遷とセットで振り返ることで、自社の今後の「経営課題」は何か?その達成ための自社の「人材マネジメントの基本的な考え方」は何か?そしてそれを促す「人事評価制度」にするために、現在の制度のどこをどう変えるのか?あるいは変えないのか?が見えてくるはずだからです。

ところが、そうではなく「年功主義」→「能力主義」→「成果主義」という人材マネジメントの基本的な考え方の変遷を、「評価制度の進化の過程」と受け止めてしまうと、今後の自社の評価制度見直しのヒントにはなりません。

なぜなら、そう考えてしまうと、「成果主義」が最もすぐれた人材マネジメントの基本的な考え方となり、すべての会社が成果主義で評価を行えば人材マネジメントがうまくいくということになってしまうからです。

確かに、「年功主義」→「能力主義」→「成果主義」という変遷の中で、評価制度の進化が無かったわけではありません。しかし、最新のもの、つまり成果主義を導入すれば万事上手くいくというのが、評価制度を見直すということイコールではありません。

少しオーバーな言い方をすれば、自社の「経営課題」によっては、「能力主義」という、70年代のオイルショックの頃に生まれた「人材マネジメントの基本的な考え方」に基づく「人事評価制度」が今の我が社には必要だ・・・という場合もあるかもしれません。

よって、評価制度の見直しを図るときにこそ、「年功主義」「能力主義」「成果主義」の3つを、それぞれの背景にあった経営課題とセットで、振り返っておくことが必要なのです。

できる人材とできない人材の差を評価し、処遇に格差を付ける~能力主義~

「能力主義」とは処遇決定の中心に「能力」を据える考え方で、「高い能力を獲得できたら高い処遇にする」という考え方のことです。この「人材マネジメントの基本的な考え方」に基づく人事評価制度の代表選手が「職能資格制度」を柱とした評価制度です。

能力主義自体、1968年に初めて主張された考え方ですが、多くの企業が「年功主義から能力主義へ」というスローガンのもと、この考え方を導入したのは1973年以降でした。それは、その背景に、第1次オイルショック(1973年の原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱)があったからだと言われています。

総人件費は景気の混乱で余裕がなくなり、またポストも増やせず、最悪は減少させなければいけないような状況の中で、「年齢」や「勤続年数」で社員を処遇するということが出来なくなったわけです。この状況は、バブル崩壊後、多くの企業が「成果主義」をベースにした抜本的な評価制度改革を行ったのと同じ状況であったと言えます。

どうして「能力主義」だったのか?

当時、処遇の柱が「年齢」や「勤続年数」ではない、合理的、つまり本人の実力によって昇給や昇格に差が生じるのは当然という考え方に則った基準であれば、それが「能力」ではなくても良かったのに、なぜ多くの企業が「能力主義」に基づく評価制度に傾いていったのでしょうか?「能力」ではなく「職務」におくこともできたはずです。

それは、当時「職務給」を導入、つまり「職務」を基準として給与を決定することを「人材マネジメントの基本的な考え方」に据えて、大変痛い思いをしたからに他ありません。

「職務」を基準にするにはまず「職務」を明確にしなければいけません(職務記述書の作成)。そしてその職務をまっとうしているかどうかで処遇が決まります。まさに「職務記述書」に書かれていることがすべての基準になるのです。

しかし一方で当時、「日本企業における競争力の源泉」については以下の様に言われていました。

  • 日本企業の強さの秘密はその人材にあり

  • たとえ記述書に書いていなくても状況によっては人の仕事も手伝う

  • 記述書に書かれていないことでも良いと思ったら改善を自主的に行う

このような「オーバーリーチ」(良い意味でのおせっかい・助け合い)と「改善意欲」が、「職務主義」を人事マネジメントの基本的な考え方に据えることで、損なわれるのはひじょうに困る。また、実際に導入してみたら、そうなってしまった・・・という理由から、多くの企業が選んだのは「職務」ではなく「能力」という基準だったのです。

賃金原資は増加傾向になるという点は「年功主義」と同じ

「能力主義」は、「能力のあるなし」で処遇格差が付くので、「能力とは一体何か?」という定義はどうしても明確にしなければいけません。しかし、それにはかなりの知識や明確化のための努力が必要です。

そこを疎かにすると、「能力」の評価が曖昧になり、客観性を欠くだけでなく、曖昧な分、「年功的な運用」(年齢や勤続経験の高い方が、能力は高い)になってしまいます。現に、「年功主義からの脱却」をスローガンにした割には、結局多くの企業で「能力主義」が「年功的な運用」をされたことにより「年功主義からの脱却に失敗した」という意見も未だによく聞かれます。

しかし、ここで大切なのは、人が「経験とともに能力を高めていく」のは紛れもない事実であり、「能力主義」というものを「人材マネジメントの基本的な考え方」に据える以上、その徐々に付いてくる能力を処遇していくのに、賃金原資が増加していくことは、実は「年功主義」と変わりないということです。

ということは、「能力主義」は、経済情勢を先読みし、それを踏まえて、何を評価や処遇の軸に置いたら良いかを考えることの重要性を示唆してくれた、マネジメントの基本的な考え方だと言うことが出来ます。

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